プロバンス記 その27 ニーム

 

nime1ニームという街のカフェで、私の隣の席で40代とおぼしき美しい女性とランチを楽しんでいたおそらく80代であろう男性に「どっから来たんだい?」と声を掛けられました。

アルルを後にした私の旅の次なる宿泊地はモンペリエですが、その前に古代ローマの時代に栄えたニームという街に寄り道したときのことです。

 

現代ではこの地域の県庁所在地となっているニームは古代ローマ時代から栄えた街です。
このブログの「プロバンス記 その1」で登場したポン・デュ・ガールという巨大な橋を建設してまで古代ローマ人が水道を通したほどなので、当時から有力で重要な街だったのでしょうね。
円形闘技場や神殿、水道跡など多くの遺跡が今も立ち並んでいて華やかりし頃を偲ばせます。

プロバンスの歴史ある古い街は見るとだいたい一目で成り立ちがわかると本で読んだことがあります。
ニームやアルル、オランジェなど平地にあって街の周囲に城壁のない街はたいていその起源を古代ローマまで遡るだそうです。
「パクスロマーナ」といわれるローマによる平和を謳歌していた時代は街を襲う敵の心配がなかったので、交通の不便な急峻な山の上に街を作る必要もなければ、街をぐるりと取り囲む城壁も必要もなかったのだそうです。
ローマ帝国が滅びた後は常に周囲を敵に囲まれた状態になったので、街を防御しやすい山の頂上に作り周囲を城壁で囲むようになったとか。
急峻な山の上に築かれたゴルドやルシヨン、キュキュロンやメネルブなどはいかにも中世の街でした。
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お話しを2018年6月のニームに戻しましょう。
カフェで偶然隣り合った80代とおぼしき紳士は、品の良い身なりとチャーミングな笑顔で私に話しかけてきました。
「日本から来ました。」と答えるとにっこり笑って
「そうか、そうか。私の妻はバスク人なんだよ」と、自分の年齢の半分ほどであろう女性を指さしながら言いました。
その瞬間、私は自分が何を期待されているかを悟りました。
お任せください、お爺様。
だてに30年も接客業をしてきたわけではありませんよ。
私は自分の小さな目を倍くらいに大きくして彼らふたりを見つめながらひと呼吸おいて「えーっ!ご夫婦なんですか?」と問いました。
このとき私の瞳に紳士に対する畏敬の念が映ったように見えたに違いありません。
「わが意を得たり」とばかりに、紳士はウインクしながら親指を立てて見せます。

彼は続けて奥様が心理学者で大学教授であることや本を執筆中であることなどをいかにも得意げに教えてくれました。
ようするに奥様の自慢がしたいのと、若くて美人で教養のある女性を妻にしている自分のことをすごいと思って欲しいのだなと私は確信したのです。
奥様はというと、ご主人が英語に窮すると私にもわかる簡単な英語で素敵な笑顔とともに通訳してくれます。
思わぬ話し相手をランチタイムに得た私は嬉々として彼らとの会話を楽しみました。
紳士は何度も奥様を「バスク人なんだよ」と、茶目っ気たっぷりに笑いながら話しました。
私はこのこと(バスク人であること)が何を意味するのか実は今もってわかりません。
でも、きっと彼らの社会では何らかの意味があるのでしょうね。
複雑なヨーロッパの社会を笑いとともに生きる素敵なご夫婦との食事は、私をまた元気にしてくれました!

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